2013年6月13日木曜日

ネパールでの伝統医学調査旅行(1)

2004年の成都にはじまり、今まで何度も伝統漢方研究会の仲間たちと中国各地の生薬市場などを調査してきましたが、今年はネパールに行ってきました(6月7日〜12日)。チベットが政情不安でなかなか訪問できないため、ネパールでチベット伝統医学を行う医師・アムチに会うことと、現地の生薬をみることを目標に。

6月7日の深夜に羽田国際空港を出発、タイ航空でバンコクへ。数時間の待ち時間でバンコクからネパールのカトマンズへ乗り継ぎ。横に寝てないのでグッタリ…


機内からみえたカトマンズの街はおもちゃ箱みたいでした。


到着日はカトマンズから1時間ほどの山間にあるリゾートホテルでゆっくり休みました。ちょうど雨季に入っていましたが、滞在中はたいした雨もふらずに済みました。

翌日から、再びカトマンズ市内へ。建物は基本レンガ造り。骨組みにレンガで壁を作っているだけのかなりシンプルな建物ばかり。

交通は信号機はあるものの、電力事情が悪くてほとんど作動していない状態。大きな交差点には警察官が立っているものの、まあなかなか滅茶苦茶で…クラクションの音がやみません。バイクがクラクションを鳴らしながら狭い隙間をぬってバスを追い抜こうとしてきますから見てて怖い。


閑静な住宅街(むき出しのレンガはなく、壁がしっかり塗られている建物が多かったのと、柵があったのでおそらく高級住宅街と思われる。道はデコボコだけど…)に、チベット医学のクリニックがありました。
迎えてくれたアムチ(院長)は40歳。チベットからエベレストの脇を歩いてネパールに亡命してきたという。亡命後にインドのチベット医学の学校に通い、4冊の経典を暗記している。その経典にチベット医学の病態生理観や治療理論や薬物などが書かれており、一字一句暗記させられるらしい。山から指定された薬草を採取してくる試験などもあるらしい。
併設された孤児院を支援している団体の日本人が通訳をしてくださいました。ありがとうございました。
事前に色々と準備してくれたお陰で大まかな基礎理論を学んだあとで、アムチに色々と質問をしながら脈診でどんな情報をみているのかをかなり具体的に聞くことが出来ました。

使用している生薬は漢方の生薬と共通のものも多いが、まったく見たこともないものもたくさんありました。カニの殻もありました。

チベット医学で使っている薬匙。分量はわりと大まかで、大と小だけ。

講義のあとに、チベットのビスケットとチャイでもてなしてくださいました。素朴な懐かしい味でカリッとしたドーナツのような…とても美味しかったです。

宗教観と完全に分離している漢方医学と比べると、より原始的で宗教的な要素はたくさん残っているのですが、脈診で得る情報の細かさは素晴らしく、将来的な研究材料として大変興味がわき、有意義な調査旅行となりました。
チベタン・チルドレンズ・プロジェクトの皆さんにも大変お世話になりました。本当に貴重な機会をありがとうございました!




2013年6月4日火曜日

ゴボウ茶にご用心

しばらく前になりますが、大変気になったことがありました。

あるテレビに出ている有名な先生の本を読んで、ゴボウを生のままアクも抜かずに毎日食べていらっしゃるとのお話を聞きました…
ちょっとビックリしたのですが、あとで書店に行ってその本を手にとってみました。

薬学関係の人がみたらあきれる内容なのですが、「ゴボウの皮は朝鮮人参と同じ効果がある」とか、ゴボウのアクに含まれるサポニンが朝鮮人参のサポニンと同じだとかなんとかかんとか…

サポニンが入ってるから朝鮮人参(オタネニンジンといいます)と同じ…?

サポニンが含まれるもの、たくさんあります。
サポニンの語源はシャボン。シャボンの泡のシャボンで、サポニンを含有したものは泡立つ性質があります(界面活性作用)。

生薬でも、桔梗にはキキョウサポニン、柴胡にはサイコサポニン、挙げればキリがないくらいにたくさんあります。

漢方薬で、桔梗も柴胡も朝鮮人参も同じサポニンが入っているから、代わりになるかというとそんなことはありません。

桔梗湯という処方は、桔梗と甘草の二味で出来ています。
じゃ、桔梗の代わりにゴボウと甘草でいいか?朝鮮人参と甘草でいいか?
そんなはずはありません。

桔梗は桔梗。柴胡は柴胡。朝鮮人参は朝鮮人参で、ゴボウはゴボウです。

もちろん、サポニンと言うのは水に溶けた時に界面活性作用のある物質の総称で、桔梗のサポニンと柴胡のサポニンと朝鮮人参のサポニンは化学構造は違います。そもそも、サポニン自体は指標成分にはなっても、それが有効成分とは限りません。サポニンの有効性に関する研究も多々ありますが、だからといってそれがその生薬の働きなのかどうかは決着はついていません。

テレビに出ている人の本に載っているからと信じてしまうでしょうが、怖いことです。
ゴボウはアクを抜いて食べるものです。

食べるものが豊かな現代の私たちは「身体にいいらしい」とか「テレビで身体にいいと言っていた」という尺度で食べるものを選択することがあります。

しかし、本来は身体にいいとかいう尺度で考える余裕はなかったはずです。
どうやって食べて生きていくかです。
米や芋があれば、わざわざあのゴボウを食べたでしょうか?

どうしても食べるものがなくて仕方なくゴボウを食べたと思います。
でも、そのままではアクが強くてとても食べられたものじゃない。でも、アクを抜くと食べられると発見して食べられるようになった。
生きるための知恵として伝わってきたはずです。

まあ、これは想像の話ですからどうか解りませんが、加工調理によってそのままでは食用に向かないものをいかにして食べられるようにしてきたか、それも食文化の大事なところだと思います。

これは食べられる、これは食べられない、実は経験で判断するしかありません。
先祖代々食べてきたものは、ほとんどの人が食べられる。食べて処理をする能力が遺伝的に備わっているわけです。魚を食べてきた民族は魚を代謝して同化する能力に優れ、肉を食べてきた民族は肉を同化する能力が優れています。

伝統的な食文化と個々に備わった遺伝的な処理能力と、その人の体質を考慮して食養生を考えるべきです。
私個人の感想としては、アクを抜かないゴボウを食べ続ける勇気は必要ないと思いました。